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ほのぼのレイク
『悪魔のいけにえ』のリメイク『テキサス・チェーンソー』を傑作に仕上げたマーカス・ニスペル監督が手掛けるということで大いに期待したのだが、監視員に見殺しにされたジェイソンのごとく、裏切られた感が強い。
周辺住民はジェイソンの存在はおろか殺人行為も知りながら、腫れ物に触らないように暮らしている、いわば共存状態にあるような印象を受けるのだが、林業を営んでいるらしい青年が殺されるシーンでその設定が揺らいでくる。
長年そこで暮らしているであろう人間が、自分からジェイソンに近付いたわけでもなく自宅兼仕事場に居る所を、なぜかこのタイミングで殺されている。
よそ者がクリスタルレイクにやって来てジェイソンの気が立っているとの解釈も出来るが、青年がジェイソンの姿を見ても彼とは認識していない点が釈然としない。
保安官も最初はわかっている風なのだが、通報されたら速攻で駆けつけてあっさり殺されるなど、つじつまの合わない描写がある。
ジェイソンがホイットニーを生かしておいた理由も不可解だ。
母親のペンダントを着けているからだと思っていると、ジェイソンがそのペンダントに気付くのは監禁後かなり時間が経ってからだ。
ジェイソンのキャラクターやそれを取り巻く設定が曖昧過ぎるのである。
被害者の遺品を集めるなど中途半端にレザーフェイスしている点もオリジナリティーに欠ける。
昔からのファンとしてはジェイソンの殺しのバリエーションにも期待するのだが、「こんなに面白いシチュエーションを用意しておきながら、なぜその殺し方なんだ!?」と憤りを感じる場面が多い。
地下アジトにPART2の被害者の物と思われる車椅子があったりと、ファンをニヤリとさせる要素があるにはあるが、ロブ・ゾンビ版『ハロウィン』の素晴らしいオマージュっぷりと比べると、取って付けた印象しか残らない。
オリジナルへの愛が感じられないのだ。
途中から主人公と行動を共にする女が、ミニスカートからジーパンに履き替えたのにもガッカリだぜ。
ファンのツボを突きまくった『フレディVSジェイソン』の監督ならばもっとうまく撮ってくれたのではないか、という気がしてならない。
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